2015年6月12日金曜日

『30歳のルーキー』 - ライアン・ケスラー



こんにちは。


 今回の記事は移籍について。移籍の際の心境を、面白可笑しく綴っている記事です。
ケスラー選手の場合、よりによってライバルのチームへ…

 こういった話もなかなか耳にすることは出来ないと思うので、非常に新鮮だと思います。

 ビデオ、写真もあるので、お楽しみください。






ライアン・ケスラー (Ryan Kesler)

1984年8月31日生まれ、アメリカ出身

身長:188㎝
体重:92㎏

2005~2014年 バンクーバー・カナックス
2014~現在   アナハイム・ダックス

アメリカ代表:6回
金メダル2回、銀メダル1回

オールスター:2度出場。






 誤訳があるかと思いますが、ご了承願います。

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 気まずいとでも言おうか。これがビジネスだ。もう立派な大人だ、準備は出来ている。と自分に言い聞かせる。だが、初めてロッカールームに足を踏み入れ、前に殴り合ったことがあるみんなと顔を合わせる… あぁ、気まずい。

 その相手がライアン・ゲツラフとコリー・ペリーだった場合、特にだ。僕がまだバンクーバーに属していた時は、僕らはお互い恨みあう程の宿敵だった。僕は、彼らをプレーに集中させない為なら、手段を選ばなかった。どんな手段でも…プリ・シーズンではペリーと2回乱闘をした。揉み合いの際、お互い何を言い合ってたかなんて、こんな場で言えやしない…

 ゲッツィー(ゲツラフ)との乱闘は、乱闘と呼ぶべきではない。彼には、人形のように振り回され、潰されていたから。彼はモンスター級だ。





 僕は数年の間、オフの期間にバンクーバーからトレードされるのを望んでた。ファンや、チームメイト、チームのオーナーを侮辱しているわけじゃない。ただお互い、変化が必要だった。家には3人の子供がいる。リンクの外では一般な生活を過ごしたかった。カナダ代表としてプレーをして、まるで、水槽の中の魚の様にプライバシーが無い。僕にとって、そして何より家族にとって。これはとても辛い事だった。知っている方も多いかもしれないが、19歳のころから、バンクーバーは僕にとって、ホームだった。ケヴィン・ビエクサ、アレックス・ビュロース、セディンの2人。彼らはこれからもずっと、僕の親しい友でり続ける。いつか、目が覚めて、「ワオ。僕は友達がいる場から本当に去ってしまうんだ。」と気づく。今年の夏、ずっと引っ越しのための準備をしてきて、エージェントからアナハイムへ越すとの連絡があった瞬間に、少しの不安が僕を襲った。

 アナハイムと聞いて、僕はすぐに考えたこと:「太陽の日差し、短パンとスリッパ。良いじゃん。」 その後すぐに考えたこと:「ゲツラフとペリー。やばいな。」

 それから他に色んな複雑な考えが頭を過ぎり始める。

 どうやって6歳の娘に、友達と別れなければいけないと伝えるのか?カナダの銀行口座はどうなる?税金はどうなる?どこに住むのか?家具などをどうやって送る?


 僕のキャリアの拠点はずっとバンクーバーだった。僕はエージェントに恐らく20度ほど電話を掛けた。「えーっと、カート(エージェントの名)。聞くのがすごく恥ずかしいんだけど。【これ】はどうすればいいの?」

 トレードの締切時に54人ものの選手たちがトレードされた。彼らは皆、同じような不安を抱えてるに違いない。こういった内容の記事のコメント欄には多分「お金持ちになれるんだから、黙ってろ!」の様なコメントを受けることが多いが、幸いなことに、The Players' Tribune には、コメント欄は無い。選手にも、感情っていうものを持っている。そうでないとしても、少なくとも家族は持っている。引っ越すという出来ごとに、一番直面したときは、4歳の息子に、アメリカへ引っ越すことを伝えたとき。彼はカナダ生まれで、彼はそれしか知らない。僕の試合の前に国歌を歌う事が大好きだった。彼が歌の歌詞で唯一覚えているのが国歌の「O' Canada」だったと考えたときは、胸が苦しくなった。

 幸い、アメリカ人は「フォト・ボム(写真や映像で背景に映り込む行為)」が流行っているから、息子もここでどうにかやっていけそうだ。





 僕たちは8月に、オレンジ郡(Orange County。カリフォルニア州の群... ※海外ドラマ "The O.C."はオレンジ・カウンティ―の略)に着いて、ダックスは僕の為にレッド・カーペットを敷いてくれた。トレーニング・キャンプでの初日での気持ちは絶対に忘れない。30歳の中年の男。学校の初日の気分だった。みんな僕が「お喋り」であることは知っていた。いつも野次を飛ばしていたからだ。初めの週は、ただ座り、着替え、一言も発しなかった。ゲッツィーとペリー、そしてその他の選手たちも僕はこれでもかと言うほどに歓迎してくれた。でもやっぱり、10年近く争ってきた間柄だ。僕は「黙って、このチームの雰囲気やルールなどに慣れていくのが、一番だ。」と考えた。プロのアドバイスだ。〆切間際にトレードした人たちは、ハイテンションでロッカーへ入らない方がいい。1週目はジョークをしたりもしない方がいい。加入してすぐに打ち解けあい、みんな親友になる、なんてことは絶対にない。今までトレードされたことがある人間に、聞いてみるといい。やり方はそうじゃない。自分で、自分の力を証明する。証明して初めて、繋がりが出来る。

 新しい選手は、選手たちに難癖をつけられること以上に有り難いことは無い。そうされて初めて、気まずさが消滅する。子供のように接されると、気まずさが増す。一度、野次を飛ばされ(僕の場合はいつも、僕の大きな鼻のこと)、そこで初めてお互いに、心を開くことが出来る。

 僕にとってのターニング・ポイントは10月にゲツラフの家で行われた、チームのハロウィン・パーティだった。僕はいつも通り、ゴジラの全身コスチュームで参加した。(妻が選んでくれた。)コリー・ペリーはマウンティーの格好をして来た。誰かはウィル・フェレルが映画『セミプロ』で演じた際の超・短パンの格好で来た。

 氷上でチームメイトを知ることも一つだが、リンクの外で知ることも大事なことだ。パーティーで人が集まり始め、僕はゲッツィーの家の裏庭で、ゴジラの格好をして、ダーツをしていた。そこで僕はチームの一員になり始めた、と実感した。




 そして、嬉しいことに、僕のチームは今シーズンいい成績を残した。 僕らは大きく、激しいチームで、ぎしぎし(Grind)としたプレーを好む。僕のプレースタイルにぴったりだった。ゲッツィーとペリーとは、相手側より、味方側に居てくれた方が安心だ。こうやって仲良くなれた経緯に違和感を感じないと言えば嘘になる。ある日、練習へ行くために一緒にばすに乗っていて、笑っていた。僕が「一年前のこのバスに乗って、僕について、どれだけの悪口を言っていたか、何ドルを払ってでも聞いてみたいよ。」と言ったからだ。

 お互い、どんな呼び方をしていたか、について話、何度も笑いあった。ここには書けない。6歳になる息子はもうグーグルの使い方を知っている。

 ペリーから、リンクまでカープール(相乗り)して行かないか、と聞かれた日は忘れることはないだろう。1億年の間でも、僕たちがカープール友達になるとは考えもしなかっただろう。彼も同じことを言うに違いない。僕たちは仲良くなり、お互い似た同士であることが分かった。まあ、彼は僕よりもっといい車を運転していること以外は。僕は初めて貰ったNHLでの契約金で買ったフォードのF-150をまだ乗っている。

 そしてここに、且つで殴り合った者同士が、ボロボロのピックアップに乗って、選曲の権利を奪い合っている。今回は、僕がDJになったが、車のエンジンを掛けたとき、ペリーが滑稽な顔をし、何か変な臭いがしているかの様に空気を嗅ぎ始めた。「この車、ガタついているぞ。アライメント測定装置を直した方がいい。いや、新しい車買えよ。この車はボロすぎる。」と言った。

 こういって冷やかし合いが毎日行われる。僕が言いたいのは、今週トレードされる選手たち、すぐ慣れる。(記事記載時はトレード〆切間近)。すぐに、また新しい選手の様に扱ってくれないかな、と思う時が来る。



 忘れるところだった。ここで最後に、プロのアドバイス。


―――下着の広告のモデルにはなるな。永遠に付きまとわれる。―――

















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