2015年8月21日金曜日

『エリート・スナイパー入門 』パート2 - ジョナサン・クイック

 前回の『エリート・スナイパー入門』の続きです。まだ読んでいない方は是非こちらからご覧ください。

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 戻って来たよ。前回の投稿では、入れたい選手全員書ききれる時間が無かった。恐らく夏休みでダラダラしていると想像しているかもしれないが、息子の夏休みのホッケーのスケジュールは半端じゃない。だが週末にYouTubeでスナイパー5人について宿題をしてきた。ツイッターでリクエストをしてくれてありがとう。キーパーの悪夢である選手たちはこれで全員ではないので、近い将来、パート3を書くことになるかもしれない。


 スティーブン・スタムコス - Steven Stamkos


 オヴェチュキンと良く似ている。彼らは氷上のどこに居てもパックの位置を把握している。彼らがオフェンシブ・ゾーンでシュートを放てば、全てがゴール・チャンスだ。スタムコスはシューティング能力が優れているという事は明白な事実だが、彼のプレーメイキング能力は過小評価されているかもしれない。スナイパーであるだけでなく、キーパーとしては、彼の絶妙なパス数々も注意すべき点だと思う。シュート能力とパス能力、掛け合わせると大きな問題となる。彼のパック・リリースは世界トップクラスだからだ。

 彼がパワープレーで左サイド(キーパーから見て右)でプレーをする。これはキーパーとして最悪と言っても過言ではない状態だ。なぜならそのポジションから、スタムコスはキーパーのショートサイドのブロッカー側にワンタイマーを放つことが出来るから。スタムコスのパック・リリースはNHLの中で最も速いかもしれない―特にワンタイマーでは。ワッフル(ブロッカーの愛称)で反射神経で守り抜くことは不可能に近い。

 ここでは、スタムコスは殆ど全く膝を曲げていない。一つの滑らかなモーションで、パックが素早く放たれる。





 もしスタムコスのパック・リリースを一言で表すとすれば、
効率の良さ』だ。パート①で述べた様に、オヴェチュキンのシュートのパワーの原理は、スティックに掛かる体重と、それによって生まれる物凄い推進力だ。オーヴィはパックを後ろ足元から放つことが出来、スティックも理由の一つだ。オーヴィのスティックは比較的柔らかく、ブレードはすごく曲がっている。オヴェチュキンのシュートは弧を描くが、スタムコスのは違う。彼のスティックは硬く、パックは前方から放たれる。パックがブレードにくっ付いている時間が短ければ短いほど、キーパーがパックの行先を読む時間も短くなる。これは数センチといった小さな違いだが、スタムコスのシュートは素早過ぎて、パックを【押している】ように見える。スタムコスのシュートにはヒントが無い。シュートを打つ前に劇的に膝を曲げることも無ければ、手幅を広げる事も無い。全て勘のみだ。







 彼がほぼ片足で立ちながらリスター(リスト・シュート)で肩口を決める。素早く、スムーズなモーションだ。



アンゼ・コピター - Anze Kopitar


 コピは、NHLの中のツーウェイ・センター(攻防共に優れているセンター)の中でベストの選手だと思う。コピターのプレーを見て思う事は、プレーに参加している率が非常に高い。大きな選手があんなに気楽に見える(一生懸命に見えない)選手はそう居ない。彼は全てを簡単に見せてしまう。その為ある程度過小評価を受けているのも理解が出来る。人々はアイスホッケーを語る際、プレーにおけるバトルの激しさやスピードについて語る。NHL選手が語るときは(少なくとも正直に語るときは)全力を出す瞬間という事にはタイミングがある、と語るに違いない。ルーニー・テューンズのロード・ランナーの様に足の回転が速い選手でも30秒程でバテてしまい、ベンチに戻っては次のシフトの為に息を整え続けなければならなくなり、この選手はチームにとってプラスにはならないだろう。60分の試合の中では、正しいポジションに付いてエネルギーを保ち、ここぞといった時にジェットをオンだ。そうでもしなければ、3ピリにはもうクタクタだ。アンゼはこの切り替えがもの凄く上手だ。彼のホッケーI.Q.は桁外れだ。

 スムーズの選手を見てみたいかい?






 ボード際といえば、ヤロミール・ヤーガーだ。彼はキープアウェイを20年遊び続け、未だに誰も彼からパックを奪う方法を見つけ出していない。だが、ヤーガー相手に最もパックに近付ける選手がいるとすれば、コピだろう。彼は毎試合、相手選手のトップディフェンスマンと相手をしているが、それでも相手に力いっぱい寄しかかり、疲れさせ、自分とチームメイトの為にスペースを作る。アンゼは相手チームに【内容の濃い時間】を与える。相手キーパーを常に構えさせ、相手のセンターをゴールライン付近まで、深いポジションまで引き寄せる。あまりアンゼをハイライト動画で見かけないのもその為だと思う。ハイライトゴールの前の10秒間はアンゼが『汚い仕事』をしているからだ。

 何年前かのナッシュビル戦、完璧とも言えるパワープレーの例がある。コピがボード側で後々ゴールへと繋がるスペースを作り出す。コピをマークした相手ウィンガーは、得点された後、疲労で跪いている様子が伺える。





 何度も言ったように、シュートは動くパックの事では無く、殆どの場合、その他の要素全ての事だ。



ジョン・タバレス - John Tavares


 クロスビーと同じように、タバレスは相手選手を一つの得意分野で相手と差をつける訳ではなく、全てにおいてバランス良く優れている事で、周囲と差をつける。タバレスは相手をディークできる(巻ける)。肩口を決められる。絶妙なパスを出せる。もし何もないとしても、何かを生み出すことが出来る。他の面でもクロスビーと似ている。今まで対戦した選手達の中でも、トップ級に粘り強い選手という点だ。タバレスと同等に高度のスキルを持つ選手の多くは、味方選手が空いているスペースに入っていくまで待ち、パスを出す。タバレスの場合、荒々しいエリアに自分から入って行き、パックを奪い取る。彼のキレイなハイライト・ゴールと同じくらい彼は汚いゴールも決めている。

 タバレスの下半身のパワーは凄まじく、ボード際でチェックを真に受けても、そのチェックの推進力利用してゴールへ向かう。このトロント戦のOTのゴールは、彼の優れた全ての要素の詰め合わせだ。1人目のディフェンスを腕でかわし、2人目のディフェンスを巻き、華麗なるエッジワークでゴール前まで行き、3人目のディフェンダーもかわし、ゴールを決める。






 試合の60分間、ディフェンスのプレッシャーやチェックに耐え、バランスを保ち続ける為にトレーニング室で過ごす時間、そして、3人のディフェンスの位置を把握し、相手を抜く方法を考えられるホッケーI.Q.、これらが彼の偉大さの要素だ。2人目のディフェンスを抜く前に、2つ先のプレーを予測している。彼のディーク(巻き
)は1つの滑らかなモーションで最後にはゴール前に辿り着く。もう一度さっきのシーンを見てほしい。1人目のディフェンスを抜いてから、何度完全なストライドをしただろうか。一回のみだ。



マックス・パシオレッティー - Max Pacioretty


 マックスから連想することは、NHLで一番過小評価されている選手であるという事。過去の3シーズンで彼より多くゴールを決めた選手は3人しかいない。決してパワープレーでの華麗なるゴールではない。彼のゴールのほとんどは、5対5でスペースがあまり無い状態からの得点だ。昨シーズンは10点の勝ち越し点を入れている。マックスが、荒々しいエリアでプレーをする、といった面ではタバレスとよく似ている。今まであまり彼について語る人があまりにも少なくてびっくりしている。彼は本当にいい点取り屋だ。

 マックスと対戦する際は、彼の素早いスナップショットに警戒していなければならない。素早く、且つ強力にパックを放つことが出来てしまうため、事前に狙っている場所を憶測していなければ、防ぐことは出来ない。マックスが他の選手達から独立する理由は、NHLの中でも最高潮の命中力と一貫性だ。小さなスペースを見つけ出すのが誰よりも上手だ。キーパーはネットに深く構えてしまっていたら、ゲームオーバーだ。





 彼の身体を見てわかるだろうか。シュートの前の振りかぶりが無い。大きな推進力の変化がない。パスを簡単に出来るように彼のすぐ前にパックがある。マックスには複数の選択肢があるため、キーパーは固まってしまう。そして重たいシュートが、サークルの先から飛んで来る。キーパーである事が、時々に嫌になる。

(P.S. 残り時間を見てほしい。マックスは大事な場面でも点を取る。)



ジェイミー・ベン / タイラー・セギン - Jamie Benn / Tyler Seguin


 伝統とでも言おうか。このペアに関しては、また省略をさせて貰う。数年前、セギンがスターズにトレードされた時、ウェスタン・コンファレンスのキーパー達はこのニュースを見たとき、『うわ、まじかよ。』と口を揃えて言ったに違いない。ジェイミー・ベンは基本的にオールマイティな選手だ。僕のチームメイト;ドリュー・ダウティーは世界中でトップのディフェンスマンだ。そのドリューがある選手に関して言う事は、他の誰より信用性がある。彼はいつもベンと相手するのは本当にタフだ、と言っている。全てにおいてレベルが高い。彼はスペースを作る、というか勝手にスペースが出来る。ベンはチェックもする、乱闘もする、鋼鉄のようにタフな選手だから、誰も近づこうとしない。彼は誰の事も恐れてはいない。相手チームのスター選手に対する戦略は大抵、「ラフなプレーでラフにさせる」事だが、ベンの場合…やめておいた方がいい。

 ジェイミーが他の選手より優れている一つは、1対1の時にディフェンスをスクリーンにすることだ。自身の長いリーチと素晴らしいパックハンドリングを利用して、シュートをディフェンスの足の間を通して打つ。これはキーパーにとって、リリースを感知するのが難しい。ディフェンスのスケートによってパックが見えなくなる一瞬が、非常に効果的なのだ。

 説明するのは難しいが、幸いインターネット動画という名の奇跡が存在する。




ピエトランジェロ(ディフェンス)はベンが何をしようとしているか解っているため、足を閉じる。が、そんなことは関係ない。ベンはパックを引いて、アングルを変える。ピエトランジェロの身体とスティックをスクリーンと化する。前回の投稿で言ったように、最高のシューターは、最速のシューターという訳ではなく、シュートを放つ瞬間に急激にアングル、リリース・ポイントを変えることが出来る選手である。

 ここにセギンといった、また新しい要素が加わる。セギンがプレーに参入することで、ベンに対し、ズルは出来ない。セギンはスペースに入って、注意を引くのが上手だからだ。セギンがよくやる癖のようなもので、ワンタイムを打つ時、よく膝をつく。オヴェチュキンに似ているが、少し違う。セギンのワンタイムの振りかぶりは短く、平均の半分しかスティックを上げない。パックに全体重が乗るし、素早く放つ。彼は良く、珍しいアングルからゴールを決める。キーパー目線として、あまり見ないリリースの仕方だ。





 セギンは、予想外な事をするのが他の誰より上手だ。さっきも言ったようにどのアングルからシュートを打ってくるかわからない為、60分間ずっと注意を払わなければならない。もう一度言う。セーブの90%は精神によるものだ。ベンとセギンは二人とも素早いパック・リリースを持っているが、最も注意しなければならない点は、二人とも予測不可能であることだ。悪意があるようにさえ思える。彼らに全身全霊、最大火力で攻撃されている時は…【放送禁止用語】

 …まあ、気が高まってきてしまった。もう行かなくちゃ。楽しかった。


 


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 前回の投稿も含めいかがでしたでしょうか。今までセンターによるセンターの分析、ディフェンスによるディフェンスの分析、それからキーパーによるキーパーの分析を期待していましたが、また良い意味で期待が外れキーパーによるスナイパーの分析の記事でした。個人的には大満足の内容でした。

 プレーヤーたちとは別の視点から見るホッケー。彼らにしかわからない『アイスホッケー』があるのかも知れません。



2015年8月1日土曜日

『エリート・スナイパー入門』 - ジョナサン・クイック


 おなじみの、The Players' Tribuneのサイトにやっと入門シリーズのキーパー版が記載されました。今回の記事はLA.キングスのGK;ジョナサン・クイック選手による記事です。




ジョナサン・クイック - Jonathan Quick 


1986年1月21日 生まれ
アメリカ、コネティカット州 出身
身長:185㎝
体重:100㎏

2005年LA.キングスからドラフトされ、大学リーグで2年、
2008年はLA.キングスのアフィリエートチーム、
      AHLのマンチェスター・モナークスでプレー。
2009年から現在までLA.キングス所属。

2011年にはオールスター出場。
2011年と2013年にスタンレーカップ優勝。

2014年にはアメリカ代表に選抜される。

個人では3つのトロフィーを受賞した。



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 このセリフを何度聞いたことがあるだろうか。




「そんなに良いセーブでもないじゃないか。選手がグローブに打っただけじゃないか。」


 素晴らしいセーブをこのセリフで済ませてしまう人に、僕はいつも不快を覚える。僕が就くポジションの魅力がわかっていない証拠だからだ。NHLでは、90%のセーブは、選手がパックを放つ前に既に起きている。キーパーとして、反射神経だけに頼っていれば、すぐにやられてしまう。パックをゴールから守るのに必要なのは、殆ど「直感
と「幾何学だ。パックを所持する選手を見ながら、彼に与えられた選択肢を分析する。そして、彼の足、手、体勢を観察する。打つか?高めか、低めか?パスレーンはどこだ?戦略はなんだ?
 
 全ての要素を足して、一つの選択をしなければならない。即座に脳ミソから、

①.クリーズの前に出て自分を大きく見せてシューティング・レーンを狭くしろ。(シュートに備える)
②.少しズルをして身体の重心をパスを受ける選手の方に向けておけ。(パスに備える)

 と選択肢を与えられる。パックが放たれる前に、僕の仕事は終わった。次の行動を決めたので、後はその選択が合っていた事を願うのみ。

 一つ例をあげよう。これは僕のセーブの中でトップに入るセーブだと思う。




 セーブと反射神経の関係はあまりないと思う。実際、セーブと関係する一つの要素は、僕自身と全く関係ない所にある。もし僕のディフェンス;ドリュー・ダウティーが横になって、クロスのパスを防がなければ、成す術がない。ケイン
の目と腰はゴールに向いていないため、彼はパスをしたがっているのが解る。幸運なことにドリューが助けてくれた。次に、ケインがスケートをゴールに向ける。僕はパッドを重ねてゴールの下半分を塞ぐ。ここでパス・レーンがあれば、もう終わりだ。また幸運なことに、もう一人のディフェンスが逆サイトのウィングをマークしてくれた。最後にケインの重心が移動し、腰が開いたところで高めを狙ってくるのが解る。そして僕はグローブを可能な限り上げて、祈る。
 
 ラッキーと言いたければそれでも構わないが、この1.5秒の間に4つの要素が進行している。何等かの理由で氷上に居る時は時間が遅く過ぎ、体感では7秒程だった気がする。

 NHLのレベルでのアイスホッケーでは、実際に経験してみないと解らない複雑な事が数々ある。エリートなスナイパー達がキーパーにとって、対戦しにくいワケをこの記事を通して説明したいと思う。


Ryan Getzlaf and Corey Perry - ライアン・ゲツラフ と コリー・ペリー

 少しズルをして、この2人をパッケージ・セットとして紹介する。アナハイム・ダックスと言う名を聞いて2つの文字を連想する。"Heavy Minutes" 【直訳すると、
重たい時間」「内容の濃い時間」とでも訳しましょうか。】 アナハイムが攻めている1分は、他のチームの1.5分と準ずる。ずっとゴール裏でプレーをしているからだ。僕は常にポストに付き、構え、警戒心を100%オンにしておくと、3ピリの頃には本当に足にくる。

 ゲツラフとペリーがパックを持っている時の視野の広さにはびっくりする。プレーから背を向けている時でもだ。彼らは即座な決断力と、ディフェンスの間を通すパス力はエリート級だ。大きな身体を使ってゴール裏でキープアウェイをし、僕はポストからポストへと移動を繰り返さなければならない。ディフェンスも疲れてくる。そしてゴール前をと移動し、何回もリバウンドのチャンスを作り、ゴール前に混雑を作り出す。そこでゴールに入らないとしても、この「内容の濃い時間によって、次のセットが出てくる時には疲れ果てている。

 メディアで両チームのパック所持率などが大きく取り上げられ、NHLのロッカーでも重要な参考となっているが、どういう風に所持しているかが重要な点であると思う。1つのチームはアタッキング・ゾーンでとても長い時間パックを所持しているが、特に危険なポジションではない。周囲でパックをサイクルしたり、時にはシュートを打ったりしてきても、特に難しいことはない。一方ゲツラフとペリーの場合、彼らが攻めている毎分毎秒が、脅威となる。




 NHLではみんな、良いシュートを打つが、殆どの選手は、特定な状態である場合でないと、危険性がない。本当にシュートが上手なゲツラフとペリーの様な選手の場合、パックが身体から1.5メートル離れていても、足元にあった場合でさえも、強烈なシュートを放つことが出来る。これによって、キーパーとしての計算が全て崩れる。ベストなシューターは、最速のシューターである訳ではない。ベストなシューターはシュートを放つ瞬間に急激にアングルを変えることが出来る選手である。

 ゲツラフが、パックを身体からとても離れた場所から、足元へ一瞬で移動させるところを見てほしい。ゲツラフ本人からの視点ではなく、パックからの視点が、0.5秒で観点から見えるゴールの空いている場所」が完全に別のものになる。



 これが平均的な選手である場合、僕は「よし、一足で立っているから、バランスは崩れている。シュートはそんなに強くないだろう。」と考える。ゲツラフはハワード(上の写真のGK)が反応する前にゴールを決めた。ハワードの前には、ダックスのもう一人の代表的選手がスクリーンに立っている。(9番のコイブ選手)



Pavel Datsyuk - パベル・ダツック

 ダツックは恐らくNHLで最も欺瞞的(ぎまんてき)なプレーヤーである。彼はパックを所持しながら、パックを隠すことが出来るマジシャンだ。一つは彼の防具にある。彼のブレードはNHLであまり見かけない形をしていて、普通のものより太く作られている。それと彼の素早いリリースと、更に、彼はゴールをあまり見ないのを合わせると、ブレードから放たれるパックを目で追うのは非常に難しい。


 上でも言ったように、90%のセーブはパックが放たれる前に起きている。殆どの選手にはヒントがある。パックがどこにポジションされているか、膝の曲がり方でシュートの準備をしている、殆どの事が起こる前に解る。だが、ダツックの場合は、故意的に騙してくる。彼はアタッキング・ゾーンの45度のボード際で、手、足、目が全てクロスのパスの状態である。99%の選手の場合、憶測通りにクロスのパスが来る。そこでGKは少しズルをしてパス先に目を向ける。そしたら、どういう事だか、いつの間にかパックがゴールに入っている。彼は打ったのだ。そんな所から打つ奴がどこにいる。ダツックが居た。




 ダツックはチェスのプロである。キーパーとして最悪な状況は、パック・キャリアーが多数の選択肢を持っている時だ。ダツックは氷上全体の状態を常に把握していて、幾つかのプレーが生み出せる様なスペースが空くまでパックを持ち続ける。意図的に相手に、シュートをブロックをするか、パスをカットするか、と迷わせる。彼を相手にするには、どちらかを選ばなければならない。どちらか迷っている内に、彼は次のプレーを始めている。彼と相手する際は50-50の賭けだ。


Sidney Crosby - シドニー・クロスビー

 バックハンドのシュートはNHLイチだ。プロの1年目か2年目の時だったと思う。ゴール前のサークルの2本の線から、(壁側)フォアハンドではなく、バックハンドで… 逆側の肩口に入れられた。こんなことは聞いたこともない。100中100止めれるはずである。が、彼はとてつもなく素早くシュートを放ち、パックの軌道はもの凄いもので、彼の両手が頭上に上がるまで僕はゴールに入っていることを知らなかった。

 クロスビーは全てにおいて、非常に優れている。試合の前にロッカーで、対戦するチームのスター選手の2人か3人を、どうやって弱みを握るか、など考える。ホワイトボードの名前を指して「彼は○○に弱い。出来るだけ彼に○○をさせよう。」と言う。クロスビーの場合、○○にあたるものが何一つ無い。彼はオールマイティーで、信じられないような選手だ。





 前に言ったように、全ては幾多の選択肢だ。もしクロスビーがディフェンスを抜いてキーパーと1対1になった場合、もはや平等ではない。彼のブレードはほぼ平ら、真っ直ぐで、手首の恐るべきパワーで、股下を抜かれるか、バックハンドに持っていかれ、肩口だ。(多くの選手は平らなブレードでこれをこなすことは出来ない)時々、彼をテレビで観て、キーパーと1対1になった時、キーパーの前でスティックハンドリングをし、一瞬にして、股下を抜く場面を目にする。一瞬すぎて、パックを少しチョンと触ったくらいにしか見えない。キーパーは反応出来ない。凍ってしまっている。彼相手に無難な賭けなど存在しない。もしバックハンドに持っていかれれば、キーパーはスライドするために踏ん張ってプッシュしなければならない。その時の姿勢は深く、股下がガラ空きになる。残りは言わなくてもわかるだろう。

 クロスビーのノーマークの話のついでにPSの話をする。NHLの中でもシュートアウトが上手な選手たちを見てみると、みんな3つか4つ、凄くいいパターンを持っていて、全てのパターンの始まり方は同じだ。T.J.オーシーを例にあげる。彼は毎回PSでパックを拾う際、同じルートで同じ方向からゴールに向かう。ハンドリングのパターンもほとんど見分けがつかない。そしてある点にたどり着くととこから、
木の枝の様に別れる4つのパターンがある。その点に着いてから憶測をするのは無理だ。何をするかは、やられるまでわからない。キーパーはこの場合、100%反射で守り抜くしか手がない。それはとても難しいことだ。



Alexander Ovechkin - アレクサンダー・オヴェチュキン

 明らかに、彼のシュートは非常に重い。だが、先に憶測不可能というテーマについて、今回はオーヴィ(オヴェチュキン)を例にして書こう。今シーズンホームで彼らと対戦した時、2対1のラッシュがあった。オーヴィはパックを持っていなかった。僕から見て右側に居て、パスをされてはマズい。彼はライトハンドで、ワンタイムには最適なポジションにいた。腰を開いたのを見て、僕は「彼は明らかに危ない。だが彼はバックスケーティングの状態でボードにどんどん近づいている。」と考える。
僕の脳ミソは自然にもうワイドすぎだ。そこからは無理だ。と考えた。そして彼にパスが行き、もう壁から1メートルも離れていない状態だったが、僕は彼を甘く見ていた。方法はわからないが、ワンタイムは完璧、且つ強烈で僕にはチャンスの欠片もなかった。ゴールから離れながら放った彼のワンタイムを見てほしい。




 オーヴィの様な男たちのシュートは本当に強く、野球のバッターみたいだ。パックの残像が写真のフレームのように切れて見える。1フレーム、2フレーム、そして3フレーム目にはもう体に当たっている。反射神経でオーヴィに対してキーパーをするのは無理な事だ。クリーズの先に立って空きを防いでいなければならない。




Jonathan Toews and Patrick Kane - ジョナサン・テイヴス と パトリック・ケイン

 この二人も、セットとして省略させてもらう。ほぼ毎年コンファレンス・ファイナルやスタンレーカップ・ファイナルで彼らを目にするのは偶然な事ではない。ゲツラフとペリーとは違い、この2人は全く別なプレーをするのと同時に、お互いがお互いを完璧に補足し合う。この2人ほど自信に満ち溢れた選手を見たことが無い。どうにかして勝つ、という揺るぎ無い信念を持っているようだ。

 ケインから始めよう。彼は比較的小さな男だが、トップを争うパック・リリースと、ホッケーIQに関して彼は少し過小評価されていると思う。氷上の観察力とディフェンスを読む力はNHLの中でもトップ級だ。彼の様な才能的なスキルを持つ選手の多くは、氷上を徘徊して、チャンスを待つ選手が多いが、ケインは常に氷上を観察していて、プレーの続きを考えている。そして、空いたスペースにヒョコッと現れ、そのチャンスをモノにする。そして、もちろん、彼のハンドリングはとてつもなく上手い。ケインのハンドリングの速さはNHLの中で恐らく1番だ。ほぼ毎試合、ディフェンスが少しポークチェックをサボったのを見逃さず、ディフェンスのトライポッド(スティックと足の3点)の間を彼なハンドリングで抜く。





 ケインの様な選手が出ているときは、キーパーとしては、すぐに注意を置く。プレーが進み続ける間、常にレーダーに入れている。それにテイヴスを加えてしまうと、レベルが変わってしまう。テイヴスは常に動き回っていて、常に働いていて、パックの行先を読める聖なる力を持っている。まるで超能力者だ。彼がどうやって、いつも完璧なときに完璧な場所に居られるのか、特に重要な場面で、説明ができない。

 アナハイムが身体的に「内容の濃い時間
」であれば、シカゴは精神的に内容の濃い時間だ。常にケインとテイヴスに気を付けていなければならなく、ケインがいつの間にかゴール横に立っていたり、テイヴスが周りを見渡さなくてもケインの居場所を把握していたり、猜疑的になってしまう。そしてこれらがホッケーというスポーツを分析する楽しさの醍醐味であると思う。多くの人はホッケーを残忍で粗暴なスポーツであると考えるが(シー・ウェバーのバッティングをアソコに喰らった時は僕もそう思った)、実際、ホッケーは他のスポーツより、より精神的なスポーツである。シカゴは過去6年で3回スタンレーカップを手にした。ケインとテイヴスは世界で一番デカい男たちではないが、彼らはとてもスマートで、精神的に強く、2人が一緒にプレーする際には素晴らしい直観力を互いに持っている。

 シカゴには本当に勝ちたい。早くシーズン始まってくれよ!(ごめんよ、ハニー)

2015年7月10日金曜日

『戦い』 - リチャード・クローン


最近、嫌なニュースを多く目にします。
ストレスなど、色々な事情があるかと思います。

人間には「」と言ったとても複雑で面倒くさい感情が付いています。
助けを求めたいが、立場上、男だから、約束したから、恥ずかしいから、といった理由で
助けを求めることが出来ず、最悪の場合「」といった究極な選択をしてしまう時があります。

死ぬより、立場を失う事の方が怖いのでしょうか。
死ぬより、男らしさを捨てる事方が怖いのでしょうか。
死ぬより、約束を破る方が怖いのでしょうか。
死ぬより、恥ずかしい方が怖いのでしょうか。

考えすぎていると、舞い上がってしまう時があります。
酔っぱらっていると、舞い上がってしまう時があります。

考える事、お酒を飲む事は決して悪いことではありません。

ただ個人が抱えてるその問題が、最悪な状態な時に、
一人で考える、お酒を飲んで、舞い上がってしまう事は本当に怖いです。



日本ではマイナーなスポーツ;アイスホッケーを通してですが、
アルコール、薬物中毒という問題を通して、
アイスホッケーが関係無くても、問題がアルコール、薬物では無くても。
今、小さな問題、大きな問題、どんな問題でも抱えている人に読んで頂きたい。


この記事はNHLを4シーズン経験した現AHL選手のリチャード・クローン選手による、自叙記事です。
少々長いですが、今問題を抱えている方、




もしくは、そういった状況に置かれている人を知っている方、全ての方に読んで欲しい記事です。

問題を抱えることについて、そしてそれの解決方法について。
この記事をキッカケに少しでもみなさんの問題が解決に近づくことを願って、投稿致します。




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 クリニックのナース達は笑っていた。それほど酷い状態だった。NHLで初めてプレーオフを経験した数週後のことだった。23歳で夢の舞台に立ち、良い給料を貰いながら、僕はもうどうすることも出来ず、自分が倒れて死んでしまうか、誰かを殺してしまいそうな状態だった。

 予約の電話はしなかった。ロサンゼルスから、弟が大学に通っているボストン行きの飛行機に乗り、空港まで迎えに来てもらった。僕はただ「準備は出来た」と言った。弟にそこから10時間離れたトロントまで送ってもらった。リハビリ・センターまで。2年前来たのと同じ場所だ。2年前は4日間泊まり、「こんなの狂ってる!もう出て行く!」と叫んで、それっきりだ。受付に着くと、みんなは僕の事を覚えていた。きっと前に大きな印象を与えたからだ。みんなは笑っていた。僕が正気だと思っていないみたいだった。僕はここで初めて自分が抱えている症状を認め、泣き崩れて言った。「僕はアル中だ。薬中だ。本当だ。助けてくれ。

 天使はすぐに降りて来る事はなかった。バイオリンのクラシック音楽が流れ、フカフカな枕がある真っ白な部屋に放り込まれることは無かった。受付嬢に「書類を上に回すまで数日掛かります。」と言われた。自分の状態を認め、吐き出せた事で、僕が肩に抱えていた重すぎる荷物はすでに下されていた。デトックスのため病院へ送られ、3日間、書いてはいけない様な事を叫び、震え、吐き続けた。

 この時点で、もう読者のみんなは僕に偏見を持っているだろう。ツイッターやメディアでNHLの選手がアルコールや薬物で苦しんでる、と読んだことがある。彼らのストーリーは語れないが、僕のを伝えようと思う。

 以前の僕は、練習から帰り、昼食の頃にはお酒を飲み始めていた。ジュニアでプレーしていた頃から、NHLデビューした頃まで、オフの日には起きたらすぐ飲酒をしていた。毎日マリファナも吸っていた。19歳になった頃には、週1のペースでコカインを使っていた。オンタリオ、ニューハンプシャー、ロサンゼルスのバーで僕が笑ってジョークを言ったりしていたのを見た人は「見ろよ、幸せそうだな。」とでも言っていただろう。

 僕が朝5時に起きた時、枕が血だらけになっていた事なんて知りもしなかっただろう。

 次の日の練習には、笑顔で向かい、世界トップレベルでホッケーをした。何故こんなことをしたのか。僕は決して昔からこんな野蛮な人間だった訳ではない。高校では個人で芸術の授業を受け、タランティーノの映画を観るような子供だった。僕はハーバード大学でプレーをするはずだったが、親に頭を下げ、OHLに入った。そこで僕は母親と【絶対に乱闘をしない】と堅い約束をした。(当時のコーチは僕が乱闘しないことでいつも怒っていた。)OHLでは最も勤勉な選手に与えられるボビー・スミス賞を受賞した。僕はこれらの事を毎日、泥酔状態でこなした。飲むときは殆ど部屋で、一人で飲んでいた。

 僕は決して特別な存在ではない。今も、NHLで苦しんでいる選手はたくさん居て、ポイントの統計や練習での動きなどで見分ける事は出来ない。僕が19歳だった頃、リンクの外では落ちぶれていたが、30ゴールと80ポイントを挙げていた。数年を共にしたチームメイトやコーチには少々疑われていたが、誰も状態がここまで最悪だった事には気付いていなかった。僕はただ荒々しかった。ホッケーのチームには何人かは必ずいる。AHLで過ごした2008年のシーズンで、ダラス・スターズにドラフトされ、4日間続けてコカインでハイになっていた。ひと夏で7,8キロ痩せ、万事休す。家族会議が開かれ、もう逃れることは出来なかった。2人の弟の表情は忘れられない。僕は彼らにとってヒーローであり、親友であり、リーダーだった。そしてその時彼らの目には、怯えが見えた。


 何回失敗をした、犯罪を犯した、家族を泣かせた、なんて関係ない。何回チームメイトに「おしまい。もうやめる。」と伝えたかなんて関係ない。本当に良くなりたい、と思って行動に移すまでは、誰が何を言っても変わることは出来ない。

 その夏初めてリハビリ・センターに入ったが、僕は自分はアル中だと自覚がなかった。アル中は公園のベンチで気絶している様な人の事だと思っていたからだ。カウンセラーと面会するたび、「リッチ、お父さんとの関係について教えてくれないか?」「リッチ、最後に泣いたのはいつ?」などと聞かれた。ホッケー選手として、正直に話を出来る話題の領域を遥かに超えている。僕たちホッケー選手は、弱音を吐かない、痛みを見せない様に育てられたからだ。足が折れていたって、「よけろ、俺は出る」とトレーナーに怒鳴る。

  そして僕はカウンセラーと喧嘩をし、4日でその場を去った。

 読者のあなたはきっと、携帯やパソコンで今これを読んで、なんで?どうして?小さい頃から夢見た事を現実にさせて、全て台無しに出来るんだ?と思っているだろう。

 僕は怖かったからだ。僕は常に恐怖と隣合わせで生きていたからだ。まだ若くてバカだった頃から始まる。16歳の時にOHLに入るため家を出た。チームメイトのみんなは、僕は2,3歳上の人たちだけだった。髭を生やしていた。みんな男だった。この頃はまだ、指導上での暴力に対して甘い時代だった。幸い、チームメイトの一人、ダニエル・カーシロが僕を守ってくれた。暴力が行き過ぎないように毎回気を配ってくれていた。彼には感謝しきれない。だがすぐに、ジュニアの文化のようなもの、飲酒男らしさという美学に制圧された。日曜の試合の後はバーで飲んでいた。僕は16歳だった。今16歳の少年を見ると、「小さい人間だな。僕はいったい何をしていたんだろう。」と思う。僕は仮面を被り、恐怖と戦った。

 一番怖いのは、19歳だった時に僕は、自分がかつて一番嫌いだった人間になっていた事だ。僕は年上になり、ルーキーの少年達に色んな事をさせていた。一度仮面を被ってしまうと、もう取れない。ドラフトされて契約を結んだ時、契約のプレッシャーと戦うために仮面を被った。契約が終わると、相手の195㎝の怪物と乱闘しなければならない恐怖と不眠症と戦うため、仮面を被る。やっとNHLのジャージを着た時は、一瞬で全て終わってしまうかも知れないという絶え間のない恐怖と戦うために、また仮面を被った。

  15歳~24歳の間、僕は居なかった。僕は不在だった。僕は存在しなかった。プロ・ホッケー選手であるリッチ・クローンが存在した。彼は150回乱闘をし、飲酒運転を繰り返し、女を追いかけ、笑い、泣き、無意識的に生きていた。だが、芸術、映画と読書、人生について深く考えるのが大好きだった少年のリッチ・クローンは居なかった。彼はプレッシャーに耐えられなかった。

 そしてある日、彼は起きた。ロサンゼルスのGM;ロン・ヘクスタールに「リッチ、誰か助けてくれる人を紹介しようか?」と言ってくれた時ではない。両親にお願いされた100万回目の時でもない。映画の様にはいかなかった。ある日突然目を覚ました。もううんざりだった。

 多くの選手たちは残念な結果になってしまった。僕たちはこれまでに、憂欝の闇、薬物や飲酒で多すぎる程の男たちを亡くしてきた。スティーブ・モンタドールリック・ライピエンデレック・ブーガードウェイド・ビーラック。僕は彼らの多くを良く知っていた。彼らとは何度も乱闘をした。彼らの多くの本当に良い人たちだった。僕は彼らに近親感を抱いていた。僕がファイターだったからではない。僕は生まれつきファイターだった訳ではない。彼らもだ。誰も少年の頃にストリート・ホッケーをして、ファイターとしてスタンレーカップを優勝する夢なんて見ていなかったはずだ。みんな、決勝のゴールを決める事を夢見ていたはずだ。

 だがしかし。人生は邪魔をする。育つ環境によって変わってしまう。僕が7歳だった頃、ほぼ毎日放課後にストリート・ホッケーをしていた。町内の少年、みんなが集まった。7歳から13歳位の少年達だ。冬になり、緑石側まで雪が積もれば、ボディーチェック有りの実践的なホッケーをした。雪山の横を通れば、ボールを持っていなくてもぶっ飛ばされた。当時7歳だった僕は13歳の少年に毎日毎日チェックされていた。僕は毎日泣きながら帰宅した。

 ある日の午後、雪の山に飛ばされて100回目の時、僕の中で何かが切れた。立ち上がり、僕は彼に走り寄り、背後からスティックで思い切り足をスラッシュした。13歳の少年は倒れ、泣き叫んだ。試合は中断され、みんな僕を悪魔であるかの様に睨んだ。僕は全速力で家に走り、部屋にこもった。

 その晩、父親がそれを知り、ひどく叱られ、みんなの前でその13歳の少年に謝らせた。僕は父の表情が変わったのを見た。父は僕に謝らせていたが、僕が年上のいじめっ子に立ち向かった事を誇らしく思っていた。他の少年達の表情も同じように変わった。

 それから、誰も僕をいじめるような事はなかった。これが僕のフィジカルなスタイルの始まりだった。誰もファイターとして生まれてこないが、環境によって変わる。

 僕はファイターになんてなりたくなかった。野蛮な男にも、いじめにもなりたくなかった。もちろん、アル中になんかなりたくなかった。だが僕らはみんな生き残るために仮面を被る。何百人ものホッケー選手がこれを読むだろう。高校生、ジュニアの選手、大学生、マイナーリーグ、NHLの選手で毎日飲酒であらゆる恐怖を制圧させている人たち。もしあなたがその人であれば、僕が書いた言葉が、あなたが助けを求めるキッカケになる事は無いだろう。だが、一度地獄に落ちて戻ってきた人間の僕が言う事を聞いてほしい。僕はもう5年シラフだ。僕がこうである事に対し、NHLのロッカーでも、どこでも、文句を言ったり差別された事は一度もない。

 これは嘘じゃない。

 ナッシュビル・プレデターズでの一年目、僕は完全にシラフだった。何試合目かに、僕は口元にエルボーを食らった。歯が一列折れた。30針を縫った。物を口にするたびに叫びたくなるほど痛かった。寝られなかった。考える事も出来なかった。イブプロイフェン(腫れ止め、炎症止め)は全く効かなかった。シラフで居続けたかった為、痛み止めは拒否した。麻酔として、あへん剤を使う事も出来たが、キッカケになってしまうのが怖くて使わなかった。発狂してしまいそうだった。





 僕は仕事を失うのがとても怖かった。医者には1ヵ月間フェイスギアを付けるよう命じられた。それはNHLの暗黙のルールで、乱闘が出来なかった。プレデターズにはファイターとして雇われ、それが僕の役目だった。毎日記者には、フェイスギアはいつ取れるんだ、と聞かれた。

 僕は歯医者にリンクまで来てもらい、麻酔を打っていた。「どうなってもいい、口を閉められるようにしてくれ」、と言った。残念な事に、傷が開き続け、何度も縫い直し、僕の歯茎は皮膚がなくなりそうになるまでになっていた。僕はトレーナーに毎日、フェイスギアを取らせてくれとお願いした。僕は乱闘しなければ、終わりだと思っていた。終いには僕はおかしくなって、トレーナーに隠れてフェイスギアを外し、アンドリュー・ショーと乱闘するため、氷に出た。

 もちろん、傷がまた開いた。毎日痛み止めを飲む事を考えた。コーチのベリー・トロッツには感謝しきれない。ある日彼が僕に「君が乱闘しようと僕はどうでもいい。君は良い選手だ。早く回復してくれ。」と言われた。
 


 ベリーは僕のリハビリ活動を強く支えてくれた。僕を3セット目に入れてくれた。僕はチェックをして、ポイントを取り、怪我を回復させた。クソみたいに痛かったが、痛み止めは一度も飲まなかった。

 ホッケー選手は、常にチームメイト、コーチにどう思われるか心配する。僕たちは、「病気」という言葉を弱音だと教わり、育てられた。僕はアル中だ。僕は病気だ。だが、僕は今、生きてきた中で一番強く生きている。過去の出来事については全て自分の責任であり、他の誰のせいでも無い。僕は毎日起きて、どう生きるか選択肢がある事に気付いた。『どうやって生きたいか?』 僕はチームメイトと遊ぶ。結婚式に参加する。ビーチに行く。踊って笑って、パーティーへ行く。僕はただ、もうお酒は飲まない。

 僕は今まで無視していた事をするようになった。映画や芸術を勉強し始め、今はロサンゼルスで短編映画を撮影している。プロのホッケーをしに家を出てから、今一番生きている実感がして、幸せを感じている。

 もし、あなたがこれを読んでいて自分自身に問題がある、と思っても、恥らわないでほしい。友達や、チームメイト、家族、リハビリ施設に手を伸ばしてみて欲しい。僕は助けを求めた。君にも出来る。

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リチャード・クローン (Richard Clune)

 1987年4月25日 28歳
トロント、カナダ産まれ

178㎝
98㎏

2003年から2006年までOHLでプレー
・2004年シーズンにはボビー・スミス賞受賞
・2005年にU18でカナダ代表

2006年AHLへトレード

2007年ECHL

2007年から2009年ダラスのAHLチームと3年契約

2009年NHLロサンゼルスへトレード

2010年から2012年AHL

2012年から2014年NHLナッシュビルと2年契約

2015年AHL1年契約
・現在に至る

2015年7月1日水曜日

『乱闘をする理由』- ブランドン・プラスト


 この記事では、欧米アイスホッケーの醍醐味ともいえる、乱闘について。
日本のアイスホッケーでは乱闘になることはありますが、1対1には殆どなりません。欧米アイスホッケーでは日常茶飯事です。
 乱闘をすることにより、ファンを沸かせ、チームを盛り上げます。ただただ怒りのあまりに人を殴っているわけではないし、いつでも乱闘すればいい訳でも無いのです。チームが負けているとき、チームのムードが暗いとき、試合の流れを変えたいとき、大事なチームメイトがやられてしまったとき、色んな理由で、様々な場面で乱闘が起こります。
 
 これはアイスホッケーの伝統であり、誰がなにを言おうと、重要なイベントであり、乱闘をする人は大事な役目を果たしています。アイスホッケーが下手だから、乱闘を担当するわけではなく、彼らは非常に上手です。チームのキャプテンだって乱闘するし、点取り屋でも時には乱闘をします。お互いをリスペクトし合っているからこそ出来る乱闘で、乱闘に美学にも思う人もいるでしょう。(欧米のアイスホッケーファンは殆ど感じていると思う)



ブランドン・プラスト (Brandon Prust)

1984年3月16日生まれ(31歳)
カナダ、オンタリオ州出身

身長:183㎝
体重:88㎏


2004年のドラフトでカルガリー・フレームズに70位で選ばれる。


2002年から2004年まで、OHLのロンドン・ナイツでプレー。
2004年からAHLでプレーをし、2006年にNHLデビュー。
翌年AHLに降格するも、2008年にNHL復帰。

2006年、2008年をカルガリー・フレームズでプレー。
2008年はフェニックスへトレード。
2009年に再びカルガリーへトレードされ、
同年ニューヨークレンジャーズにトレード。
2011年までプレーを続け、2012年にモントリオールと契約。


ホッケー以外の趣味は、ゴルフと野球観戦

叔父はブロードウェイの俳優

高校では多くのスポーツにおいて優秀という賞を2001年に受賞。フットボールで8番だった背番号を今でも付けている。

テレビのアナウンサーと2015年6月に婚約。


 さっそく記事に参りたいと思います。31歳、モントリオール・カナディアンズのブランドン・プラスト選手による記事です。

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 親友の顔面を週何回かのペースで殴ることは、キャリアに驚くべき成果を挙げる。アイスホッケーの*エンフォーサーの場合に限るが。僕がまだ18歳の少年でOHLでプレーしていた頃、大きな悩みを抱えていた。僕はロンドン・ナイツの端役だった。他のみんなの様に上手ではなかったし、乱闘もそう強いわけでも無かった。活躍し、成果を出すには、何かを極めなければいけなかった。
 *エンフォーサーとは、相手に悪さをさせないようにする、いわゆるチームのボディーガード。相手選手が自身のチームのキーパーと接触した時、スター選手が激しいボディーチェックをされたり、うちにそんな事したらタダじゃおかないぞ、と示すように相手選手に乱闘を仕掛ける役目の選手だ。

 始めは、ボディーチェックを極めようと頑張った。問題は、ボディーチェックをした後、毎回、相手の選手達が仕返しにやってくることだ。何度か彼らに「処理」されたあと、僕は親友のクリス・ベインに相談をした。クリスもエンフォーサーだった。

僕は、「なあ、エンフォーサーになろうと思ってる。どうすればいい?」と聞いた。

そして彼に、「まず、何回かやられてみる。そうしたらきっと分かる。」と言われた。

 これは結構適切なアドバイスだった。確かに誰かが乱闘をするのを見たり、本を読んだりするだけでは強くなることは出来ない。実際に、乱闘してみなければいけない。それから毎日練習の後、クリスとグローブを脱いで、リンクの真ん中でちょっとしたスパーリングをするようにした。結果は、読者の想像通りだ。初めはちょっとした遊び感覚で掴み合い、押し合いをしてたが、乱闘の真似をするのはとても難しいことだと、すぐにわかった。僕たちはお互い何回か故意的に殴り合った。クリスには少しでも効いたかどうかはわからない。彼はタフで、頭は石のように固い。

 アイスホッケーファンでない人に、乱闘を知的だと言うと、少々野蛮に聞こえるのは理解できるが、これは路上の一般的な喧嘩とは全く違う。僕たちはスケート靴を履き、少しダボダボなユニフォームを着ている。これには多くの物理学が含まれている。クリスに乱闘について全て教わった。ただ闇雲にパンチをするだけでなく、バランスを保ちながら、テコの原理を理解し、握力なども必要だ。僕は彼に教わった知識をスポンジのように吸収し、多少自らの知識と力で出来るようになってきた。

 だがしかし、僕は干され、シーズンの終わりでジュニアBに送られた。僕は落ち込んだが、元NHLのエンフォーサーであるコーチ;デール・ハンターに、後に僕の人生を大きく変えることになった一言を言った。「チャンスを一回くれ。一回僕を出してくれ。もうベンチにすら戻したく無くなるはずだ。」




 シーズンに入って3試合目、ジュニアAの試合に呼ばれ、それから一試合も逃してない。初めはライト級を相手にし、段々とコツをつかんできた。OHLでの二年目には、ヘビー級と乱闘をするようになっていた。乱闘でNHLに入ったも同然なので、少々偏見も持たれるが、僕には信念がある。NHLを安全なスポーツにするために、乱闘が必要だと。

矛盾するように聞こえるが、説明させてくれ。

 一か月前にアナハイムと試合をしていて、最近のNHLで頻繁に起こりすぎていることが起きてしまった。3ピリでチームのスター選手、マックス・パクシオレッティがパスを出した後、背後からボードにチェックされた。背中を痛め救急車で運ばれたが、審判はペナルティーを取らなかった。確かにルール・ブック通りに行くと、ペナルティーではないかも知れない。

じゃあ、どうすればいい?

 3ピリに入り、2対1のリード。そのシーズン、僕たちは強かった。ウェスタン・コンファレンスのアナハイムは特にライバルである訳ではない。一年に2回ほど対戦するような相手だ。普段、3ピリで点差が狭いと、僕は乱闘はしない。ペナルティーボックスで羞恥な気持ちで座ったたまま、試合終了のブザーを聞きたくないからだ。リンクに出ていたい。だが、マックスは僕たちにとってスター選手で、彼は背後から潰された。

 僕の中の一人は、まだ試合に出ていたい。もう一人は、復習を望んでいる。ベンチで座りながら、「このことを水に流すこともできるが、さっきのようなチェックを見て見ぬふりをしたら、他のチームにどう思われるか。」と考えていた。

 水に流すことは出来なかった。マックスをチェックした相手に向かい、乱闘を仕掛けた。僕はそんなに野次を飛ばす方ではない。まあ、「黙れ」とかは言うが、常に相手をイラつかせたりする為にペラペラ喋ったりはしない。僕はやるときはやる。相手のママについて悪口を言ったりする事に意味がない。物事にはやり方がある。幸い、僕はその試合、乱闘が出来た。相手にも、他のチームにも僕たちのスター選手にあんなことはしたらただじゃ済まないぞ、と証明する事が出来た。
 
 そして、みんなはそれに対して、敬意を払った。エンフォーサー群は、相互に敬意を持っている。敬意を払わない奴らは「ネズミ」と呼ばれている。ネズミは相手に一つも敬意を払わない。相手のスター選手に飛びつき、キーパーとわざと接触する。そして乱闘はしない。タフな男を演じるが、本当のタフな男が来ると、逃げていく。

 ネズミがいると、チームに不利だ。ネズミが乱闘に答えない時、場の空気がもの凄く悪くなる。リンク全体の雰囲気が悪くなる。もし乱闘自体が存在しなければ、ネズミたちは試合中ずっと敵チームのスター選手に理由もなく飛びかかり続けるだろう。ネズミが乱闘を断れば、自身のチームの流れを止めることにもなる。

 1つの乱闘で、みんなが知らない色んな事が起きている。「お前に腹が立っている。乱闘するぞ」という事ではない。時にはそうだが、ほとんどの場合、乱闘には戦略がある。エンフォーサーは本当に賢く、自身のチームが流れに乗っていて、乗り続ける必要があれば乱闘は絶対にしない。時には相手のエンフォーサーにお願いを聞いてもらい、借りを作ってもらう時もある。


 一例をあげると、何ヵ月か前にフィラデルフィアのザック・リナルドと乱闘をした。僕たちのチームは3対0で勝っていた。僕が乱闘する理由など一つもないが、乱闘をした。なぜかと言うと、彼が賢かったからだ。彼は僕を押し、叩き、誘っていた。それをすることによって、場面を作りあげていたのだ。場内のみんなが乱闘が始まるとわかった。ベンチのみんなもわかっていた。テレビのアナウンサーには、なぜ喧嘩を買ったのかと聞かれたが、その場面では買わざるを得なかった。リスクはもちろんあったが、乱闘は負けるより、断る方が恥ずかしい。これは借りだ。今度フィラデルフィアで、0対3で負けている場面があれば、彼は借りを返してくれるだろう。

 借りの事は、みんなはちゃんと覚えている。

 ホッケーファンの中でも乱闘が嫌いな人がいるのを知っている。近年NHLでは、脳震盪など頭の怪我をとても重大視している。しかし乱闘は不当な暴力ではない。もし乱闘が無くなれば、選手同士が汚い潰し合いが相次ぎ起こる事態になるだろう。もし、怪我をさせてしまえばサスペンションになるだろうが、4セット目の選手にとって、失うものは少ない。特にプレーオフでは、相手のスター選手を潰して怪我をさせれば、シリーズの結果もガラリと変わるだろう。彼らは乱闘をする必要がない。もしタフな男に復讐をされないのであれば、多くの選手がオープンアイスで怪我をすること間違いない。

 これは本当に確かか?僕もエンフォーサーとして、よく考える。相手のチームに僕を一秒で突き飛ばしてしまうような選手がいれば、試合中、その選手にチェックをすることを少し躊躇してしまう。僕も人間で、怪我をするのは怖い。だから乱闘は試合の序盤に多いのだと思う。みんなすぐ済ませてしまいたいのだ。1シフト目の乱闘は大好きだ。

 グローブを脱いだ瞬間に、他の事が見えなくなる。ファンの声援も聞こえない。審判の声も聞こえない。静寂だ。それもまだいい方だ。一番辛いのは、本当にタフな選手がいるチームと試合する前の日だ。一日中その事しか頭になく、感情という名のジェットコースターに乗る。ホッケーの試合そのものに関しては少しも考えられない。昼寝もまったく出来ない。

 これは決して悪い事ではない。僕はきちんと準備を整え、少し緊張しているとき、いい乱闘が出来る。もし乱闘に心配なく挑んでいる場合は、よく準備をしていないという証拠だ。戦うであろう相手選手の乱闘のビデオを観て、どんなパンチをするか、どんな戦略があるか、研究する。どっちの手を使うか、どんな時に利き手を変えるか、ユニフォームを掴むか。僕は183cm、88㎏しかない。許容誤差の範囲は狭い。取っ組み合いを出来なかったら、パンチしても、3インチ程届かない可能性がある。そして、顔を7針縫うことになる。


 非常にストレスが溜まりやすい仕事だが、僕は純粋に味方をかばう時の気持ちが好きだ。ルーキーだった時、これを仕事にすると決意した時から、記念品としている写真がある。初めてのエキシビジョンの試合のとき、エドモントンの巨人、J.S.ジャックスと乱闘をした事がある。彼に頭の横を何回か殴られ、顔と耳が血だらけになっている写真だ。なんでこんな写真が記念品かって?ネタとして、そして、この仕事を甘く見たらどうなるか、と自分に言い聞かせ続けるためだ。

 今年の夏、完璧とも言える座右の銘を目にした。通っているジムのトレーナーのオフィスにあった。



『勇気とは、恐怖の不備ではなく、その恐怖に対する行動のことだ。』

“Courage isn’t the lack of fear, but action in spite of it.”


 決して、努力は必ず報われる訳ではない、といった意味ではない。去年のプレーオフで、今までに感じたことが無い感情を覚えた。僕が前に属したチームであるレンジャーズとのシリーズ、0勝2敗だった時のこと。今でもみんなと仲が良かった。GK:ヘンリック・ランクヴィストは僕の親友の内の一人で、そのシリーズでは実に絶好調だった。僕は、どうやってペナルティー無しで彼に接触するか、彼をどうやって苛立たせるか、殴ったりしなきゃいけないのか、と考えた。だって、彼は僕の秘密をいくつも知っている。ヤバい事を幾つか暴露されるかもしれない。

 スタンレーカップを勝つために、どんなことでもする。氷上では友情など皆無だ。レンジャーズで僕に乱闘を仕掛ける人はいない。試合に出て、たくさんチェックをして、試合を荒し、誰かに乱闘を仕掛けさせなければいけない。1シフト目、ブルーライン上で青のユニフォームがパスをしたのを見て、力いっぱいチェックをした。彼は僕を見ていなかった。彼は立ち上がらなかった。遅いチェックだったのは自分でもわかった。わからなかったのは、それはデレック・ステファンだったこと。レンジャーズで仲がいい人の内の一人だ。彼は顎を骨折した。
 

 試合が終わってすぐ、ステフ(ステファン)に大丈夫かと、メールをした。少し感情的になった。人生色々ある。友達であることで、お互い敬意があり、怪我をさせたかった訳じゃなかったという事をわかっていれば幸いだと思った。彼は1ヵ月間、固体を口にすることが出来なかったが、あのタフな野郎はその試合にフェイスガードを付けて戻ってきた。ゲーム5では、2ゴールを決めた。
 
 そのシリーズはレンジャーズが勝ち、最後に列になってステフと握手したとき、僕たちはハグをして、和解をした。これがホッケーだ。ずっとこのままであって欲しい。




2015年6月17日水曜日

『実況ツイート』 - スタンレーカップ編

 この記事ではスタンレーカップ・ファイナルのゲーム6でのNHL選手を始めとした、多くの有名人による実況ツイートをまとめた記事です。

 知らない人がたくさんいて、調べながら書かなければいけないので、まずは知っている人から、簡単に紹介していきます。


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ポール・ビショネット選手: アントン・ヴァーメットは一緒にプレーした選手の中でも一番いい奴だった。とても嬉しく思う。






『NHL選手によるスタンレーカップ・ガイド:ファイナル編』を綴ってくれたマイク・ラップ選手:
 テイヴスの後にすぐティモネン、ヴァーメット、リチャーズにカップを渡したブラックハークスは、本当に良くできている組織だ!

 ・キモ・ティモネン選手は、1998年にナッシュビルでNHLデビューをした、フィンランド出身のベテラン選手。2004年にはヨーロッパリーグへ2005年にナッシュビルに戻り、2007年からフィラデルフィアへ移籍、今年にシカゴに移籍し、今シーズンを持って引退すると宣言。そして、念願のスタンレーカップ優勝を初めて果たしました!

 ・アンドリュー・ヴァーメット選手は2003年オタワにてNHLデビュー。2008年にコロンバス、2011年にフェニックスへ移籍。同じく今シーズンシカゴへ入団。プレーオフでは4ゴール。スタンレーカップ・ファイナルのゲーム1、ゲーム5で共にGWG(決勝点)を決めました。

 ・ブラッド・リチャーズ選手は2000年にタンパベイに入団しロックアウトを除いて7年プレー。2007年にダラスへ移籍。2011年にレンジャーズへ移り、今シーズンシカゴに参入。シカゴのGMから電話で、「うちに来い。スタンレーカップ勝つから。」と言われたらしい。一年契約で入団を決意し、スタンレーカップを手にした。ファイナルでは2アシスト。ケインはリチャーズに対して、「また戻ってきてほしい。人として好きだ。選手として好きだ。もう友達と呼べる存在だ。」と言った。





ヤロミール・ヤーガー選手: 12月の時点で僕は知っていた。だからこの写真を撮ったのさ。『少年たち』、そしてブラックホークス、おめでとう!スタンレーカップ!

2015年6月15日月曜日

『スコット・ゴメスとケン・ダネイコ:ある話』 - スコット・ゴメス


 今回の記事はThe Players' Tribuneの記者が企画した、面白いインサイダーな記事です。

今までケン・ダネイコ選手について書かれていた記事がいくつかありました。彼は本当に良い選手なだけではなく、いい人だったんだと思います。





スコット・ゴメス - Scott Gomez

1979年12月23日生まれ アメリカ、アラスカ州出身

身長:180㎝
体重:98㎏

アメリカ代表4回

スタンレーカップ2回優勝

1999年からモントリオール、サンホゼ、フロリダ、そしてECHLを渡りプレーを続け、2014年にニュージャージに戻る。





ケン・ダネイコ - Ken Daneyko

1964年4月17日生まれ
カナダ、オンタリオ州出身

身長:183㎝
体重:88㎏

1983~2003年
2度AHLに降格するが、再びNHLに復帰。

スタンレーカップ2回優勝

スコット・スティーブンズ背番号4番と並び、背番号3番でデビルズの永久欠番となっている。






さっそく記事に参ります。誤訳があるかと思います。ご了承ください。

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 私たちは、ニュージャージー・デビルズのチームメイト;スコット・ゴメスとケン・ダネイコに、ある日の出来事について、両者の視点から話してもらう事にした。
 

スコット・ゴメス編

 1999年。僕は、NHL、ニュージャージー・デビルスのロスターに初めて載った、アラスカ出身の新人だった。練習が始まって一週が経ち、僕は転入生のような気分だった。成長期がとっくに過ぎた男達が居る以外は… ジュニアのホッケーの様にみんな仲良しな訳ではない。NHLでは、皆それぞれ家族や責任がある。僕はなるべく目立たない様に大人しくしていた。ロッカールームに入れば、様々なルールやエチケットがあることに気付く。何事にも上下関係が存在する。99年のデビルスだ。ロッカーを見渡せば、スコット・ニーダーマイヤー、マーティン・ブロデューア、スコット・”ファッキン”・スティーブンスが居る。実にやばい。

 ある日の練習後、若い新人である僕は、氷上に最後の一人になるまで残った。誰の目に止まらなくても、耳に届かなくても、最大限の努力をする。そしてロッカーに戻り、案の定、みんな帰っていた。

 僕はシャワーに入った。シャンプーかなんかをしていた時、突然、巨人の様な太い声が聞こえた。


『マジかよ!ありえない!!』


 僕は心臓が止まるかと思うほどびっくりした。もう誰もいないと思っていたから。


『嘘だろ!!ありえるはずがない!!』


 声ですぐにわかった。やばい、ケン・ダネイコだ。頭にたくさん泡が乗ったまま、どうしようかと考えた。彼について、唯一知っていたことは、彼のあだ名は『ザ・キング』であることで、僕はもっと怖くなった。僕は最低な事態を予測し始める。ダノ(ダネイコ)は練習後一人でいるのが好きだったのか、きっと彼はいつも最後の一人で、今は誰も残っていてはいけなかったのかも知れない。ここに居てよかったのかと事前に誰かに聞くべきだった…


『ウ・ソ・だ・ろ!!!』


 そして僕はシャワーから顔を出すと、ダノは鏡の前に立って、ハルク・ホーガンの様に胸筋をピクピクさせていた。 

 僕は『やあ、キング。大丈夫?』と聞いた。

 彼は真顔で振り向いた。


『大丈夫なんかじゃない!36歳の男がこんなにも格好良いなんて、ありえないぜ!!』


―――15年後、僕たちは親友になった。







ケン・ダネイコ編

 僕は、控えめに言ったとしても、エネルギッシュで、強烈な男だ。当時、筋トレにハマっていた。練習が終わり、ゴーマー(ゴメス)はシャワーに居たらしいが、僕は知らなかった。当時では、年齢で言うと、チームの中でも上の方になっていた頃だったが、まだまだ現役並みに強かった。鏡越しに、自分の肉体美を眺めていた。うめきながら。叫んでいたかもしれない。プロレスの選手の様に。

 
『マジかよ!ありえない!!』


 ただの遊びだ。自分一人だと思っていた。

 スコットはいつもベテランの選手等にとっても敬意を払っていた。シャワーでは緊張していたに違いない。スコットの思考が想像できる。「うわあ、彼は何で叫んでいるんだ。ダノはこの組織に長い間居る。彼の前にシャワーを浴びてはいけないのかも知れない」と。

 彼がおどおどとシャワーから顔を出したのを覚えている。


『やあ、キング。大丈夫?』


 筋トレの後だったから、興奮状態だった。僕はきっと、



『大丈夫なんかじゃない!36歳の男がこんなにもマッチョだなんて、ありえないぜ!!』

とか何とか言ったと思う。


 その後の彼の表情は最高だった。安心のため息が聞こえた。考えてみると、19歳の少年がロッカーで、いい年のベテランが鏡の前で呻き声を上げていたら、誰でも少しは怯えるだろう。


 ははは、そして僕たちは2回スタンレーカップを一緒に勝った。この出来事に間違いはなかったはずだ。

2015年6月12日金曜日

『30歳のルーキー』 - ライアン・ケスラー



こんにちは。


 今回の記事は移籍について。移籍の際の心境を、面白可笑しく綴っている記事です。
ケスラー選手の場合、よりによってライバルのチームへ…

 こういった話もなかなか耳にすることは出来ないと思うので、非常に新鮮だと思います。

 ビデオ、写真もあるので、お楽しみください。






ライアン・ケスラー (Ryan Kesler)

1984年8月31日生まれ、アメリカ出身

身長:188㎝
体重:92㎏

2005~2014年 バンクーバー・カナックス
2014~現在   アナハイム・ダックス

アメリカ代表:6回
金メダル2回、銀メダル1回

オールスター:2度出場。






 誤訳があるかと思いますが、ご了承願います。

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 気まずいとでも言おうか。これがビジネスだ。もう立派な大人だ、準備は出来ている。と自分に言い聞かせる。だが、初めてロッカールームに足を踏み入れ、前に殴り合ったことがあるみんなと顔を合わせる… あぁ、気まずい。

 その相手がライアン・ゲツラフとコリー・ペリーだった場合、特にだ。僕がまだバンクーバーに属していた時は、僕らはお互い恨みあう程の宿敵だった。僕は、彼らをプレーに集中させない為なら、手段を選ばなかった。どんな手段でも…プリ・シーズンではペリーと2回乱闘をした。揉み合いの際、お互い何を言い合ってたかなんて、こんな場で言えやしない…

 ゲッツィー(ゲツラフ)との乱闘は、乱闘と呼ぶべきではない。彼には、人形のように振り回され、潰されていたから。彼はモンスター級だ。





 僕は数年の間、オフの期間にバンクーバーからトレードされるのを望んでた。ファンや、チームメイト、チームのオーナーを侮辱しているわけじゃない。ただお互い、変化が必要だった。家には3人の子供がいる。リンクの外では一般な生活を過ごしたかった。カナダ代表としてプレーをして、まるで、水槽の中の魚の様にプライバシーが無い。僕にとって、そして何より家族にとって。これはとても辛い事だった。知っている方も多いかもしれないが、19歳のころから、バンクーバーは僕にとって、ホームだった。ケヴィン・ビエクサ、アレックス・ビュロース、セディンの2人。彼らはこれからもずっと、僕の親しい友でり続ける。いつか、目が覚めて、「ワオ。僕は友達がいる場から本当に去ってしまうんだ。」と気づく。今年の夏、ずっと引っ越しのための準備をしてきて、エージェントからアナハイムへ越すとの連絡があった瞬間に、少しの不安が僕を襲った。

 アナハイムと聞いて、僕はすぐに考えたこと:「太陽の日差し、短パンとスリッパ。良いじゃん。」 その後すぐに考えたこと:「ゲツラフとペリー。やばいな。」

 それから他に色んな複雑な考えが頭を過ぎり始める。

 どうやって6歳の娘に、友達と別れなければいけないと伝えるのか?カナダの銀行口座はどうなる?税金はどうなる?どこに住むのか?家具などをどうやって送る?


 僕のキャリアの拠点はずっとバンクーバーだった。僕はエージェントに恐らく20度ほど電話を掛けた。「えーっと、カート(エージェントの名)。聞くのがすごく恥ずかしいんだけど。【これ】はどうすればいいの?」

 トレードの締切時に54人ものの選手たちがトレードされた。彼らは皆、同じような不安を抱えてるに違いない。こういった内容の記事のコメント欄には多分「お金持ちになれるんだから、黙ってろ!」の様なコメントを受けることが多いが、幸いなことに、The Players' Tribune には、コメント欄は無い。選手にも、感情っていうものを持っている。そうでないとしても、少なくとも家族は持っている。引っ越すという出来ごとに、一番直面したときは、4歳の息子に、アメリカへ引っ越すことを伝えたとき。彼はカナダ生まれで、彼はそれしか知らない。僕の試合の前に国歌を歌う事が大好きだった。彼が歌の歌詞で唯一覚えているのが国歌の「O' Canada」だったと考えたときは、胸が苦しくなった。

 幸い、アメリカ人は「フォト・ボム(写真や映像で背景に映り込む行為)」が流行っているから、息子もここでどうにかやっていけそうだ。





 僕たちは8月に、オレンジ郡(Orange County。カリフォルニア州の群... ※海外ドラマ "The O.C."はオレンジ・カウンティ―の略)に着いて、ダックスは僕の為にレッド・カーペットを敷いてくれた。トレーニング・キャンプでの初日での気持ちは絶対に忘れない。30歳の中年の男。学校の初日の気分だった。みんな僕が「お喋り」であることは知っていた。いつも野次を飛ばしていたからだ。初めの週は、ただ座り、着替え、一言も発しなかった。ゲッツィーとペリー、そしてその他の選手たちも僕はこれでもかと言うほどに歓迎してくれた。でもやっぱり、10年近く争ってきた間柄だ。僕は「黙って、このチームの雰囲気やルールなどに慣れていくのが、一番だ。」と考えた。プロのアドバイスだ。〆切間際にトレードした人たちは、ハイテンションでロッカーへ入らない方がいい。1週目はジョークをしたりもしない方がいい。加入してすぐに打ち解けあい、みんな親友になる、なんてことは絶対にない。今までトレードされたことがある人間に、聞いてみるといい。やり方はそうじゃない。自分で、自分の力を証明する。証明して初めて、繋がりが出来る。

 新しい選手は、選手たちに難癖をつけられること以上に有り難いことは無い。そうされて初めて、気まずさが消滅する。子供のように接されると、気まずさが増す。一度、野次を飛ばされ(僕の場合はいつも、僕の大きな鼻のこと)、そこで初めてお互いに、心を開くことが出来る。

 僕にとってのターニング・ポイントは10月にゲツラフの家で行われた、チームのハロウィン・パーティだった。僕はいつも通り、ゴジラの全身コスチュームで参加した。(妻が選んでくれた。)コリー・ペリーはマウンティーの格好をして来た。誰かはウィル・フェレルが映画『セミプロ』で演じた際の超・短パンの格好で来た。

 氷上でチームメイトを知ることも一つだが、リンクの外で知ることも大事なことだ。パーティーで人が集まり始め、僕はゲッツィーの家の裏庭で、ゴジラの格好をして、ダーツをしていた。そこで僕はチームの一員になり始めた、と実感した。




 そして、嬉しいことに、僕のチームは今シーズンいい成績を残した。 僕らは大きく、激しいチームで、ぎしぎし(Grind)としたプレーを好む。僕のプレースタイルにぴったりだった。ゲッツィーとペリーとは、相手側より、味方側に居てくれた方が安心だ。こうやって仲良くなれた経緯に違和感を感じないと言えば嘘になる。ある日、練習へ行くために一緒にばすに乗っていて、笑っていた。僕が「一年前のこのバスに乗って、僕について、どれだけの悪口を言っていたか、何ドルを払ってでも聞いてみたいよ。」と言ったからだ。

 お互い、どんな呼び方をしていたか、について話、何度も笑いあった。ここには書けない。6歳になる息子はもうグーグルの使い方を知っている。

 ペリーから、リンクまでカープール(相乗り)して行かないか、と聞かれた日は忘れることはないだろう。1億年の間でも、僕たちがカープール友達になるとは考えもしなかっただろう。彼も同じことを言うに違いない。僕たちは仲良くなり、お互い似た同士であることが分かった。まあ、彼は僕よりもっといい車を運転していること以外は。僕は初めて貰ったNHLでの契約金で買ったフォードのF-150をまだ乗っている。

 そしてここに、且つで殴り合った者同士が、ボロボロのピックアップに乗って、選曲の権利を奪い合っている。今回は、僕がDJになったが、車のエンジンを掛けたとき、ペリーが滑稽な顔をし、何か変な臭いがしているかの様に空気を嗅ぎ始めた。「この車、ガタついているぞ。アライメント測定装置を直した方がいい。いや、新しい車買えよ。この車はボロすぎる。」と言った。

 こういって冷やかし合いが毎日行われる。僕が言いたいのは、今週トレードされる選手たち、すぐ慣れる。(記事記載時はトレード〆切間近)。すぐに、また新しい選手の様に扱ってくれないかな、と思う時が来る。



 忘れるところだった。ここで最後に、プロのアドバイス。


―――下着の広告のモデルにはなるな。永遠に付きまとわれる。―――

















2015年6月9日火曜日

『マリオ・ルミューの復帰について』 - ヤロミール・ヤーガー



こんにちは。

 フェイスブックの「Complete Hockey News」というページで見た、元ペンギンズの伝説の2人。マリオ・ルミューとヤロミール・ヤーガーの話。これはヤーガー本人のフェイスブックページにて、本人による投稿です。全てがチェコ語なので、分かりませんが、フォローしてみるのもいいかもしれません。アイスホッケーファンとしては、この記事を読んで損はしないでしょう。

 
ここからは、Complete Hockey Newsのページの投稿の翻訳となります。

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 ヤロミール・ヤーガー選手がフェイスブックにて、マリオ・ルミューの現役復帰における真実を綴った。
 
 この物語はマリオが現役復帰した5年前の出来事である。1996年3月24年。同日に一人の息子が生まれたが、親として、望むような状況ではなかった。オースティンは数か月早く生まれてしまった。誰もどうなるかわからなかった。マリオは3日間休みを取り、病院で妻と息子と時間を過ごした。3日間一睡もせず、疲れ切っていた頃、マリオに素晴らしいニュースを受けた。息子は健康に育つ、と。マリオは本当にうれしくなり、その晩、試合に出た。セントルイスと対戦し、勝った。何対何だったかは忘れてしまったが、マリオのポイントは覚えている。5ゴールと2アシスト。書き間違いではない。5ゴールと2アシストだ。信じてくれ。僕はその場にいた。信じれないとしたら、Youtubeで見てみてくれ。

 時は過ぎ、マリオはその翌年、引退した。1997年3月のことだった。フィラデルフィア戦で、マリオが試合終了2分前に決めたあのゴールは、彼のキャリアにおける最後のゴールになったと、殆どのファン達が思っただろう。

 そしてまた、3年後、マリオは家族とゴルフに時間を捧げるが、ペンギンズのオーナーでもあった彼は1試合も見逃さなかった。時には練習に遊びに来たりして、当時4歳だった息子のオースティンも居た。オースティンもホッケーを愛して止まなく、常にスティックを持っていた。

 ある日、オースティンはスタッフの部屋をウロウロし、選手のスケートの研磨をしているスタッフに声を掛けた。

オースティン 「やあ、スティーブ。何してるの?」
スティーブ   「やあ。選手たちのスケートを研磨しているよ。今夜は試合があるんだ。」
オースティン 「知ってるよ。僕も観るよ。このポスターの選手はだれ?」
         (マリオ・ルミューのポスターを指さす)

スティーブ  「あれは君のお父さんだよ!」

オースティン 「ボクのお父さんはホッケーしていたの??」

スティーブはオースティンを信じられないという顔をして言った。
         「君のお父さんは、長い長い間、世界一のホッケー選手だったんだよ!!」

オースティン 「へー、知らなかった。」

オースティンはスティックを持って、ボールで遊び続けた…



 このオースティンとスティーブの会話を、マリオは必ず聞いたと確信している。なぜなら1か月後に、現役復帰を発表したからだ。最初の2試合はトロント戦、オタワ戦だった。両方とも勝利し、マリオのポイントの合計はわかるかい?

2試合、2ゴールと5アシスト。

 3年半の間、ゴルフなどのレジャーを楽しんでた人間が。信じられない。

 マリオの現役復帰の理由は、オースティンだったと僕は推測している。オースティンはやっとお父さんのプレーの観ることができ、ルミューは再度、永遠に世界一の選手であることを証明した。





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2015年6月8日月曜日

『エリート・ディフェンスマン 入門』 (下) - ケヴィン・シャッテンカーク

さっそく続きに参ります。

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 やあ。『エリート・ディフェンスマン』(上)は読んでくれたかな?これを読む前にそっちの方も読んで欲しい。ツイッターでウェスタン・コンファレンスの選手ばかりだ、との指摘があったので、今回はイースタンのディフェンスマンの記事を書こうと思う。頻繁に対戦する選手の方がやはりよく知っているので、このリストで書いていない選手が居ても、悪気はないので、どうか気分を悪くしないで欲しい。



P.K スバン (P.K. Subban)

 面白いことに、僕たちは同じ年齢で、昔から対戦し合って来た。彼は、ダウティーと同じように、自分のプレーに自信を持っている。子供の頃からだ。10歳の時にトーナメントでトロントに行った時に初めてスバンと対戦した。彼の上手さは噂に聞いていた。チビのホッケー界で伝説のように言われていた。試合が始まり1分も経たない間に、彼がレッドラインを超えた辺りから爆弾のようなスラップショットを打ち、入りそうになった。その試合であと2回同じシュートを打った。僕は「なんだこいつは。」と思った。そして今NHLでも対戦している。

 P.K.は嫌われ者だが、それは彼の狙いだ。彼のプレーは相手のイライラさせる。そして、相手はP.K.に気を取られ、プレーから気を散らせる。これはとても賢いことだ。P.K.を見て、みんながわかることは、彼のスケーティングでのエッジの使い方の上手さだ。フォアスケーティングからバックへ変換する際に、推進力を失わない。これがエッジワークの見本だ。


 彼は去年の対ボストンのシリーズで、本領を発揮したと思う。ノリス・トロフィー(NHLのベスト・ディフェンス賞)を受賞した事も大きかったが、プレーオフで、キツイ状況でのプレー。シリーズ1試合目、アウェーの試合で、ダブルOTのゲーム・ウィナーを決めた事はすごい成果だ。打つ時に膝が氷に付くほどのバッティングには、もの凄いパワーは込められている。





エリック・カールソン (Erik Karlsson)

 スケーティング、パックハンドリングの上手さ、それらのスキルより増して優れているのが、ゴール前の渋滞をほぼ毎回抜けて、キーパーまで届かせる先天的なシューティング能力。彼が放つシュートがブロックされるのはほとんど目にしない。強いスラップショットを見るのはみんな好きだと思うが、ポイントからの強いリストシュートも同じくらい効果的である。カールソンはそれにおいて、誰よりも上手だ(オリバー・エックマン・ラーソンは少しの差で2位だ)。ウィング選手にとってゴール前のチップで究極的にしやすい場所があり、(踝(くるぶし)から膝の間の高さ)カールソンはそれによって、誰よりもアシストをしている。

 最近では、より大きく、安全性の高い防具により、選手たちは氷上で横になり、ブロックすることを前ほど恐れてはいなく、一シーズンに200以上ブロックしているディフェンスもいる。(この数字はばかげている。)こういった時代には、ポイントでパックを持っている時、数えきれない程の足がシューティング・レーンに入ってくる。カールソンはNBAのポイント・ガードの様にブルーライン上を徘徊し、目で周りを惑わせ、自分でシューティング・レーンを作り出す独特な能力を持っている。

 マークするウィングを凍らせるような動きを見てほしい。


 そして、さすがヨーロッパ出身。NHLではあまり見る事がないような技術を見せつける。NHLの中で(ディフェンスの中でとは言っていない)こういったハイレベルなプレーをこんなにも簡単であるかの様に見せてしまうのも、彼しかいないと思う。




クリス・レタング (Kris Letang)

 彼は明らかに上手なスケーターだ。よく見てみると彼は、ターンしてから2回か3回氷を力強く蹴るだけで、ディフェンスと差を付けていることがわかる。しかし、レタングの最大の武器は、パックを持った時の平静さだ。ブルーライン上を徘徊しているとき、彼の顔は常に上がっていて、次のプレーを探している。彼は自分についている相手を見ているのと同時に、その相手の後ろの選手たちの動きも把握し、1プレー先を読んでいる。彼の周囲的観察力は驚くべきである。僕は彼のパックを持った時の平静さをずっと尊敬している。彼は氷上の全てを完全に把握しているように思える。このように彼の眼は常に周囲を見ている。


 (上)の記事で言ったように、チェンジをする時のダンプの際に、空中のパックをスティックで落とす動体視力と、すぐさまにパスを出してチャンスを作る選手がチームに居る事は、非常に重要であることはあまり知られていない事実である。学ぼうとして学べる技術ではなく、レタングはこれがすごく上手だ。

 ファンの多くは気づいていないかも知れないが、2対1の状況が出来る一つ前のプレーを注意してみて欲しい。その状況は、ディフェンスがブルーラインで空中のパックを奪い、フォワードへの素早いパスによって生まれる場合が多い。
 


アレックス・ピエトランジェロ (Alex Pietrangelo)

 ペトロ(ピエトランジェロ)には、もう一つ、テレビではあまり話題にならない優れた能力がある。脱出力である。ゴール前のリバウンドの取り合いで、たくさんのスティックがぶつかり合い、選手たちがゴチャゴチャになっている場面があるとする。世界中の誰かがパックをキレイに持って行って、ブレークアウトのパスを出すとすれば、それはきっとペトロだ。その場合の統計値はある?もし存在しないとすれば、作った方がいい。Wins From Scrums. WFS. (ゴッチャの中での勝ち)。彼のWFSのパーセンテージはきっと80%以上だと思う。

 そしてもう一つ、過小評価されている、彼の知られざる能力はシュート・ブロック。彼はいつも、シューティング・レーンに入り、枠に入らないようにパックを「一口」触る。ペトロは今シーズン含め、3シーズン連続、ショット・ブロックの統計値が上位20位に入っている。そして、ディフェンスによるアシストの統計でも、上位20位である。持ち合わせる2つの能力として、とても独特な組み合わせだ。

 オフェンスでは、プレーへの参加をする機会を見極める能力も本当に上手になって来ている。フェイスオフ・サークル周辺から多くのゴールを決めている。ディフェンスマンとしては珍しい。T.J. オーシーからパスを貰うため、小さなスペースに入っていく彼を見てほしい。


 これらの能力が、彼がエリートであることを証明できないのであれば、彼は仮想の野球チーム(ベースボール・ファンタシー)のことで、みんなを死ぬほど退屈にさせる能力も持っている。ドラフトの(もちろん仮想)14位で獲得したリリーフのピッチャーの話なんて、誰も興味ないぜ、ペトロ。

 今の所はこれでおしまい。@shattdeucesに、ツイートで他の誰かについて書いて欲しいとの依頼があれば、来シーズンが終わった際に(6月末に終わらないことを祈る)もう一つ、記事を書こうと思う。

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 いかがだったでしょうか。映像があると、説明もわかりやすいですね。(私の下手な訳でわかりやすくなっている事は内緒で…)

 まだまだ気になっている記事もありますので、お楽しみに。