2015年6月9日火曜日

『マリオ・ルミューの復帰について』 - ヤロミール・ヤーガー



こんにちは。

 フェイスブックの「Complete Hockey News」というページで見た、元ペンギンズの伝説の2人。マリオ・ルミューとヤロミール・ヤーガーの話。これはヤーガー本人のフェイスブックページにて、本人による投稿です。全てがチェコ語なので、分かりませんが、フォローしてみるのもいいかもしれません。アイスホッケーファンとしては、この記事を読んで損はしないでしょう。

 
ここからは、Complete Hockey Newsのページの投稿の翻訳となります。

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 ヤロミール・ヤーガー選手がフェイスブックにて、マリオ・ルミューの現役復帰における真実を綴った。
 
 この物語はマリオが現役復帰した5年前の出来事である。1996年3月24年。同日に一人の息子が生まれたが、親として、望むような状況ではなかった。オースティンは数か月早く生まれてしまった。誰もどうなるかわからなかった。マリオは3日間休みを取り、病院で妻と息子と時間を過ごした。3日間一睡もせず、疲れ切っていた頃、マリオに素晴らしいニュースを受けた。息子は健康に育つ、と。マリオは本当にうれしくなり、その晩、試合に出た。セントルイスと対戦し、勝った。何対何だったかは忘れてしまったが、マリオのポイントは覚えている。5ゴールと2アシスト。書き間違いではない。5ゴールと2アシストだ。信じてくれ。僕はその場にいた。信じれないとしたら、Youtubeで見てみてくれ。

 時は過ぎ、マリオはその翌年、引退した。1997年3月のことだった。フィラデルフィア戦で、マリオが試合終了2分前に決めたあのゴールは、彼のキャリアにおける最後のゴールになったと、殆どのファン達が思っただろう。

 そしてまた、3年後、マリオは家族とゴルフに時間を捧げるが、ペンギンズのオーナーでもあった彼は1試合も見逃さなかった。時には練習に遊びに来たりして、当時4歳だった息子のオースティンも居た。オースティンもホッケーを愛して止まなく、常にスティックを持っていた。

 ある日、オースティンはスタッフの部屋をウロウロし、選手のスケートの研磨をしているスタッフに声を掛けた。

オースティン 「やあ、スティーブ。何してるの?」
スティーブ   「やあ。選手たちのスケートを研磨しているよ。今夜は試合があるんだ。」
オースティン 「知ってるよ。僕も観るよ。このポスターの選手はだれ?」
         (マリオ・ルミューのポスターを指さす)

スティーブ  「あれは君のお父さんだよ!」

オースティン 「ボクのお父さんはホッケーしていたの??」

スティーブはオースティンを信じられないという顔をして言った。
         「君のお父さんは、長い長い間、世界一のホッケー選手だったんだよ!!」

オースティン 「へー、知らなかった。」

オースティンはスティックを持って、ボールで遊び続けた…



 このオースティンとスティーブの会話を、マリオは必ず聞いたと確信している。なぜなら1か月後に、現役復帰を発表したからだ。最初の2試合はトロント戦、オタワ戦だった。両方とも勝利し、マリオのポイントの合計はわかるかい?

2試合、2ゴールと5アシスト。

 3年半の間、ゴルフなどのレジャーを楽しんでた人間が。信じられない。

 マリオの現役復帰の理由は、オースティンだったと僕は推測している。オースティンはやっとお父さんのプレーの観ることができ、ルミューは再度、永遠に世界一の選手であることを証明した。





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